島根県出身で元美術教師という異色の経歴を持つ開星高校野球部監督・野々村直通さん。
甲子園に9度出場し、「5年で甲子園」を2度達成した名将です。
第107回全国高校野球選手権大会では、広陵高校が暴力問題とSNS中傷で途中辞退した件に言及。
人間関係づくりの重要性や匿名批判への持論を語ったことでも注目を集めました。
この記事では、開星高校野球部監督・野々村直通さんの経歴と実績、そして「ヤクザ監督」と呼ばれる理由までわかりやすく紹介します。
この記事でわかること
- 開成高校野球部監督・野々村直通の経歴と実績
- 野々村監督が「ヤクザ監督」と呼ばれる理由
- 広陵高校に対するSNSバッシングへの言及内容
開成高校野球部監督・野々村直通の経歴と実績

開星高校野球部を率いる野々村直通監督は、元美術教師という異色の経歴を持ちながら、甲子園で数々の実績を残してきました。
ここでは、その学生時代から現在までの経歴と、印象的なエピソードを時系列でたどります。
経歴一覧
公開されている情報や報道をもとに整理すると、野々村監督の主な経歴は次の通りです。
年/時期 | 出来事 |
---|---|
1951年12月14日 | 島根県雲南市(旧大原郡加茂町)生まれ |
― | 広島大学学校教育学部美術科を卒業 |
大学時代 | 硬式野球部に所属、2年時に広島六大学首位打者、4年時に主将として全日本大学野球選手権大会に出場 |
1974年 | 広島県立府中東高校に美術教師として赴任、野球部監督を兼任し「5年で甲子園」を掲げる |
1979年春 | 府中東高校をセンバツ甲子園に初出場させる |
1980年代前半 | 松江日大高校監督を経て、1986年に松江第一高校(現・開星高校)へ美術教師として着任 |
1988年 | 硬式野球部を創設し初代監督に就任、「5年で甲子園」を再び掲げる |
1993年夏 | 開星高校を甲子園初出場へ導く |
1993年〜2010年 | 春2回、夏7回の計9回甲子園出場(通算3勝10敗) |
2010年 | センバツ終了後の発言で辞任 |
2011年4月 | 約8,000人の署名活動を受け復帰 |
2012年 | 定年退職 |
2020年3月 | 再び開星高校野球部監督に就任 |
2025年 | 第107回全国高校野球選手権大会に出場、広陵高校の途中辞退についてコメントし話題に |
大学野球の主将を経験
学生時代の野々村監督は、プレーヤーとしての実力だけでなく、チームをまとめる統率力でも頭角を現していました。
2年時には広島六大学リーグの首位打者を獲得し、4年時には主将として全日本大学野球選手権大会に出場しました。
「5年で甲子園」を2度達成
野々村監督の代名詞ともいえるのが、「5年で甲子園」という公約です。
府中東高校では1974年の赴任から6年目で、開星高校では1988年の就任から6年目で、それぞれ甲子園に導きました。
この快挙の背景には、次のような要素があったと言われています。
▪明確な目標設定と強いリーダーシップ
▪教育者としての柔軟な発想
▪勝利への執念と自己犠牲の精神
▪ゼロからのチーム作り経験
▪成長段階に合わせた練習と教育方針
これらを部員や関係者と共有し、目標に向かって全員が一丸となって進んだことが達成に繋がりました。
甲子園で9度出場し辞任と復帰を経験
野々村監督は、開星高校を春2回、夏7回の合計9回甲子園に導き、通算成績は3勝10敗。
2010年のセンバツでの発言が批判を呼び、いったん辞任しましたが、約8,000人の署名活動を受け2011年に復帰。
2012年の定年退職後も野球から離れることなく、2020年3月には再び監督に復帰。
現在もグラウンドに立ち続けています。
開成高校野球部野々村氏が「ヤクザ監督」と呼ばれる理由
野々村直通監督には「ヤクザ監督」という強烈な異名があります。
びっくりするような呼び名ですよね。
2025年夏の甲子園では、広陵高校の途中辞退について語った持論が注目を集めました。
ここでは、「ヤクザ監督」という呼び名の由来や発言の内容、そして野球観や指導方針について詳しく見ていきます。
厳しい指導と発言がきっかけ
野々村監督の「ヤクザ監督」という異名は、外見もそうですが、妥協を許さない姿勢から生まれたと言われています。
選手一人ひとりに全力を求め、時には耳を疑うほどの強い言葉で鼓舞することもあります。
2010年のセンバツでは「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。切腹して死にたい」という発言で批判を浴びました。

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全力スイングの攻撃型野球と多彩な活動
野々村監督の野球スタイルは、試合終盤でも全員が全力でバットを振る攻撃型です。
この姿勢は、単なる戦術ではなく、部員に「最後まで諦めない」精神を浸透させるためだそうです。
実際、終盤の逆転劇や大量得点につながった試合も少なくありません。
また、野球指導の傍ら、美術教師や画家、教育評論家としても活動しています。
「山陰のピカソ」と呼ばれるほどの画力と芸術的な感性の持ち主だといいます。
このような多彩な活動は、監督としての視野を広げ、選手に多くの価値観を伝える力になっています。
広陵高校へのSNSバッシングに言及

第107回全国高校野球選手権大会では、暴力問題とSNSでの中傷により、広陵高校が2回戦を前に途中辞退しました。
匿名のSNSによるバッシングで広陵の生徒や学校関係者にまで危険が及んだことに、野々村監督は次のように話しました。
「結局、陰からモノを言うのは卑怯だよ。俺はいつも思う。ウチらにも匿名で手紙が来たりするんだけど〝名を名乗れ〟と。
(中略)
まずスタートで名を名乗れ。批判するんなら出て来いと。それが武士道でしょ。武士道は日本人の文化なんです。人間性が原点なんです」
この発言は、メディアやSNSでも大きく取り上げられました。

まとめ
開成高校野球部監督・野々村直通さんの経歴、異名の背景、指導方針などをご紹介しました。
わかったことを簡単にまとめると次のとおりです。
島根県出身で元美術教師
大学時代は広島六大学首位打者、主将として全国大会出場
「5年で甲子園」を府中東と開星で2度達成
開星高校を甲子園に9回出場させ、通算3勝10敗
攻撃的な戦術と多彩な活動で知られる
野々村直通監督の活躍をこれからも楽しみにしたいと思います。
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